ブラタモリ的!ふじみ野市の歴史を学ぼう!~市民大学ふじみ野〜

本日は、市民大学ふじみ野の「ふじみ野市の歴史を学ぼう!」(正式名称は違いますが。)が開口されました。

講師は、女子栄養大学短期大学部教授で元東原小学校校長の松尾鉄城氏です。

結論から言えば、とても面白い歴史の講義でした!
知らないことだらけで、興味深いことだらけでしたが、いくつかピックアップします。

①まず、東武東上線の名前の由来ですが、私は、勝手に東に上るからこの名前だと思っていましたが、もともとは、上州(前橋)までをつなぐ予定だったとのこと。途中で、八高線ができてしまったため、寄居までで頓挫したとのことでした。

②新河岸川の水位

もともとは、水位がもっと高かったとのこと、水位がどんどん下がり護岸工事をしているとのことです。福岡河岸では、舟運が盛んだったとのことでしたが、現状の水位とはだいぶ違ったんですね。

③大井宿の下木戸跡

徳性寺の南側(江戸寄り)に下木戸が設置されていたとのことです。

江戸時代は、城下町や宿場町などの出入口には、治安維持を主たる目的に、夜間や非常時に閉鎖する警備用の木戸(城戸)というものが設置されていたそうです。防護壁のようなものですね。
川越側の木戸(上木戸)は見つかっていないそうですが、一般的に、坂を登りきった所や坂を下りきったところに設置されるとのことで、講師の方の予想では、鶴ケ岡八幡神社の近くにあったのではないかと予想されていました。(川越街道の焼肉きんぐや三菱自動車のディーラーの少し先の旧川越街道と二手に別れるところあたり)

そんなことを想像しながら鶴ケ岡八幡神社の近くを見てあるくとブラタモリみたいで楽しそうです。

 

④古河の足利氏から鎌倉を守るために、川越城と江戸城が同じ年(1456年)に作られた!

古河公方の足利成氏から鎌倉を守るために進撃ルートとなりうる川越(河越)、岩槻、江戸に城を作った。なので、江戸城を築造した太田道灌が川越城も築城したとのこと。

曖昧な記憶をもとに書いているので、一部不正確なところもあるかと思いますが、もう少し調べてみたいなと思う契機になりましたし、地元に対する愛着度が上がりました!

女子栄養大学東原小学校松尾鉄城

watanabe dai • 2017-02-18


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